あなたが知らない遊女城下町「吉原」の職業 遊女で成り立つ街にはどんな仕事があったのだろうか?
はじめての吉原ガイドブック
■遊女の代わりに手紙を出すのも仕事のうち
吉原に必須の職業が女衒(ぜげん)である。
農村などをまわり、貧しい親から娘を買い取り、吉原に連れてきて妓楼に売った。女衒という存在があればこそ、吉原に若い遊女が絶えることはなかったといえよう。きちんと手続きを踏み、証文を取り交わしており、当時は合法的な職業だった。
吉原に特有な職業としては文使いがある。
電話もメールもなかった当時、手紙が唯一の営業手段だった。また、吉原の遊女は禿のころに手習いをさせられ、文字の読み書きができた。そのため、遊女は客をさそう手段として、盛んに手紙を書いた。
その手紙を客の元に届けるのが、文使いの仕事だった。ただし、機転が利く男でないとできない職業だった。と言うのも、たとえば客が商家の若旦那の場合など、父親に知れないよう、そっと手渡さなければならないからだ。
吉原には湯屋があり、遊女も利用した。というのは、妓楼には内湯があったが、狭いという理由で、湯屋に行く遊女が少なくなかったのだ。妓楼を抜け出す、気分転換の意味もあったであろう。そのため、吉原の住人は遊女と入浴することができた。
吉原には住んでいないが、もっぱら妓楼にやってくる職業もあり、その代表が呉服屋であろう。呉服屋の最大のお得意先は、大奥の奥女中と吉原の遊女だったのだ。ともに、衣装には金に糸目をつけない客だったからである。
貸本屋も、吉原の遊女をお得意先にしていた。大門より外に出ることを許されていなかった遊女は、読書が最大の娯楽だったのだ。
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